1999年度駒場祭(1999年11月20日〜23日)


1999年11月20日(土)

駒場祭の前日準備であるこの日、僕は10:00頃に起床。第2体育館はめちゃくちゃ寒かった。お年寄りの09が作ってくれたおでんで朝食をとったあとスタッフドアの取り付けを手伝った。

13:00からはテニスサークルの方の準備があるので作業を抜けた。テニスサークルの方では資材を借りてきたりテントを設営したりした。生協で買い物(風除けビニールシートなどを購入してた)をする機会があったのでメールチェック用に電話線を購入しておいた。13:30頃と15:00頃に一時的に二体に戻って様子を確認。

雲雷投完成で狂喜乱舞する吉野と江野口。
11/20/13:33

テニスサークルのテント設営が終った15:50頃、雪投の搬入があるとの連絡を平松から受け二体に帰館。しかし雪投の搬入は既に終わっていた。

雪投の位置決めなどの調整をドーム内で行なった。周りではあく投など他の補助投影機の調整や、ドームの外ではハッブルの製作が行われていた。また第二体育館前では展示用のパネルが次々製作され体育館内に運び込まれていた。

18:20頃アルミホイルを張り終えHST本体ほぼ完成。後は内側にラシャ紙を張るだけに。

ずらっと並んだ展示パネル(選挙看板)。しかしこのパネルも-> お疲れの匡さん。
11/20/16:07 11/20/16:32
HST本体完成! 写真を撮る いとてつ さん。
11/20/18:21 11/20/18:28

 18:40頃作業を終えた雲雷投の江野口と吉野といっしょに銭湯に行くことに。銭湯の住所はあらかじめタウンページで調べておいたのだが、その名も「長田喜一郎」と、なんか銭湯らしくない名前だった。若干道に迷った後19:00頃無事到着。僕としては10年ぶりの銭湯だった。実にいい湯でリフレッシュする事が出来た。湯船の中にライトがあって湯がワインレッドに照らされていたのにはビックリしたけど。30分くらい湯船に浸かったり出たりを繰り返したあとあがることに。銭湯定番のコーヒー牛乳を購入し腰に手を当て飲み干した。

銭湯「長田喜一郎」発見! 2111.jpg (42862 バイト) 定番コーヒー牛乳を飲乾す吉野。
11/20/19:04 11/20/19:37 11/20/19:42

 20:00を過ぎると第二体育館に入れなくなると聞いていたため途中のコンビニで晩飯を買いながら急いで帰館する事に。外は結構寒かったはずだが、体の心まであったまっていたため寒さを感じなかった。

1999年11月20(土)〜21日(日)

20:00ぎりぎりに帰るとパネルはほとんど完成していた。21:00頃から前日の活動を日記にまとめる事に。VAIOに入れてきた10時間分のMP3を聞きながら少しずつだらだらと書いていった。ドーム内では銀投や1投、星座絵の位置決めなどが行われていたらしい。

0:00ごろメールチェックをするために二体を抜け(もちろん役員の人には断って)裏門近くの公衆電話へ。昼間買った電話線を使ってVAIOとグレイの公衆電話を接続。無料メールサービスMailbankにダイアルアップしたがパスワードとIDをメモし忘れた事が判明。結局家に電話して弟に調べさせる事になってしまった・・・。メールチェック自体は無事に終了。

1:00頃トイレに行くために南側の展示パネルの裏を通ると・・・。そこには吉野画伯の絵画が大量に展示されていた。

->吉野画伯の手にかかればこのような作品に。
11/21/1:07

このあと夜食に09のお年寄りが作ってくれたおでんを食べた後の行動は不明。4:00頃?やったリハーサルを見た記憶はあったのだが。5分27秒(=327秒)目で自動制御が突然止まったのが印象に残っている(のちに32768=2~15で桁落ちしたことが判明)。多分5:00頃寝たのでしょう。

1999年11月21日(日)

いよいよ駒場祭が始まったこの日、僕は10:00頃に起床。テニスサークルに顔を出してから、12:00からの第1回上映のビラを配ったあと、第1回上映「海と空の見える丘より」を鑑賞。第1回上映はほぼ全て手動制御という事で大きな問題は発生しなかった模様(星座絵の表示が一部間違ってたけど)。そのあとはハッブルの作業を手伝ったんだった?と思う。

第1回上映に向けて最終調整
11/21/10:47

13:00過ぎにHST完全に完成。

ハッブル本体を持ち上げて 台の上に載せて太陽電池パネルを設置して完成! パネルが落ちてこないように固定しておきます。
11/21/12:59 11/21/13:13 11/21/13:14

13:40頃野本、江野口、吉野等と模擬店めぐりに出ることに。交換したりして手に入れた各模擬店のチケットを2枚くらい消費。自分のテニスサークルの豚汁屋に松葉たちを案内して、事前に売っておいた食券を使ってもらった(買ってくれたみなさんどうもありがとうございました)。松葉と河本はあく投の作業で、この夜は夕食も食べられないくらい忙しくなるだろうという事で、このあと苗場に夕食を食べに(まだ14:00だったのに・・・)行ってしまった。

ひとまず解散する事になり僕はテニスサークルの手伝いをしに行った。

14:30からビスマルクが講演に来るというのでクラス(且つテニスサークルの)友だちとキャンプラ前広場に見に行く事に。かっこよかったです。でも講演の内容はサッカーについてではなく(キリスト教系サークルが呼んだため当然だが)彼が深く信仰するキリスト教についてだった。

14:50頃江野口からの電話でwassyさんのソフト「Snowy Memories」が始まるというので見に行く事に。しかし二体到着後ちょっと話をしている間に上映が始まってしまい見逃してしまった。

にぎわうイチョウ並木。11部員を捜せ! 左からビスマルク、通訳の小父さん
11/21/13:47 11/21/14:44

そのまま適当に話を続け、16:00頃、吉野が暇そうにしていた(?)ので2人でミスコンを見に行く事にした。河本も誘った気がするのだが断られた記憶がある。出掛けにおかじさんに食べ物を買ってきてくれといわれ、豚汁を買ってくると約束したのだが既に売り切れていた。(何も買わずにに2時間も待たせておかじさんすみませんでした。)

正門前のグランドフェスティバル。もりあがってます。
11/21/16:14

会場に行ってみると変な小父さん(実は放送作家倉本美津留氏だったらしい)が歌っていた。ミスコンが始まる16:30まではまだ15分くらいあったのだが既に会場にはかなりの人が。皆倉本氏の歌やトークには全く関心がない模様。ミスコンに付いて話している者ばかりであった。よく見るとすぐ近くに長崎と岡元さんが。彼らもミスコンを見にきていたらしい。しばらくすると河本が通りがかった。「なんだやっぱ君もミスコンが気になるのか」などと言っていると、いよいよミスコンが始まった。

座っていた前の方が立って全体に前につめた隙を付いて3人で前の方に少しでも以降と進んでいく。なんとか前から7、8列目まで前進した。ミスコンが始まってからも途中で帰る人の隙間などに惜しいって行き最終的には前から3列目まで潜入。

ミスコンの結果はあえてここに書くまでもないでしょう。河本曰く「あれは違うだろ、意外だ」。

ミスコンが終わったのが18:00。19:00頃(?)江野口、平松、野本、尾上、吉野と東大楼へ。江野口が天津丼大盛に挑戦するかと期待されたが空振りに終った。いっしょのテーブルに座った野本、尾上、吉野が浪人時代話をしていたのが印象に残っている。「話に着いて行けない」とかいったら、「お前も浪人しとけばよかったのに」とかいわれた気が・・・。

1999年11月21日(日)〜22日(月)

二体に帰ってくると庄山さんが"るな投"(開けるな投影機)製作していた。これに触発され僕もるな投IIを作る事に(99%遊びだったな)。るな投IIは約50個の発光ダイオードで一方通行の出口のマークを投影する設計となった。

21:00ごろ(?)に たにぃさん、よでぃさん、浦越等が山手ラーメンに行くというので便乗して僕も行く事に。雪ラーメンに舌鼓を打った(2時間前に夕食を食べたのに良くまた食べられたものだ)あと帰館してすぐVAIOを取って公衆電話でメールチェック。

帰ってくると再びるな投IIの製作。基盤の配線が込み入っていてはんだ付けが非常に大変だった。

VAIOにCDラジカセを接続してMP3を聞きながら作業。1:00頃ドーム内での作業が出来ず暇をしていた河本にノートPCを乗っ取られ、「河本 大知 参上.doc」を作られた。これは後にvaio版コスモス掲示版に発展。

ドーム内では群流投(尾上)、銀投(平松)、あく投(松葉)などの調整が行われていた。

この日も夜食におでんを食べた。また岡島農園のみかんも駒祭期間中にかなり食べた気がする。

5:20頃るな投IIが完成。しかし具体的な設置方法を見出せず結局このるな投IIは使われることがなかったのだが・・・。

キーボードを汚さないように手を使わずにスナック菓子を食べる河本。いとてつさん曰く「真のプログラマは箸でポテチを食べる」らしい。 河本に乗っ取られたVAIO
11/22/1:05 11/22/1:13
座りながら眠るいとてつさん 完成した"るな投II"
11/22/3:58 11/22/5:20

6:00から後藤さん、浦越、河本と駒祭委員会からの仕事で生協前の掃除をする事に。すごい有様だった。空缶やら、食いかけのカップラーメンやら、割れた酒瓶やら、いろいろなごみが散乱していたが1時間半ほどかけて何とか平常時レベルまで掃除した。寒かったしつらい仕事だった。

掃除が終って二体に戻り8:00に就寝。昼夜が完全に逆転してしまっていた。

1999年11月22日(月)

14:00起床。14:30ごろテニスサークルのほうに顔を出した後、再び二体に戻った。

あく投との奮戦に疲れ爆睡する河本 なんと駒パー(駒場祭パーカー)の贋作の駒白(駒場祭白衣)が!
11/22/15:20 11/22/31

15:40ごろ空腹を癒すため松葉と二体を脱出。

上映時間の看板。画像では確認できないが左下の紙には"豊(ゆたか)ちゃんのライブ"と。(爆) 主投を描いた看板。
11/22/15:34 11/22/15:35

正門入ってすぐのとこにあった"家康うどん"でうどんを食べた。歴史系サークルがやっていた出店なのだが、ほかの店舗と違いテントなど使わずに店舗をたる木などで建設(?)してあったためかなり目立っていた。関が原の合戦の際家康が出陣前に食べた(?)らしいがなぜか汁は色の濃い関東風。

食べ終わると松葉とは別れそのまま(タオルとかをもって二体を出ていた)20日に行った銭湯にいくことにした。

16:00ごろ銭湯につくとなんと暖簾がかかっていなかった。月曜日は定休日ということは考えられないので恐らく時間が早すぎたと思われる。失意のうちに二体に戻ると、寝起きの平松が暇そうだった(?)のでいっしょにシャワー棟に行くことに。

実は2人とも初シャワー棟だった(平松がいったことがなかったのが意外)ため若干戸惑ったが無事シャワーを浴びてさっぱりして駒場際コンパの集合時刻17:00ぎりぎりに二体に帰還。

駒場祭コンパ編に進む

1999年11月22日(月)〜23日(火)

20:00に駒場祭コンパが終わると、二体に戻るグループは駒場祭委員会に見つからないよう5人位ずつに別れて帰ることに。

デジカメの電池が切れていたため僕はさくらやにダッシュし、リチウム電池、クロノクロス(プレステのゲームソフト)、マウスを購入。いとてつさん、河本、浦越、平松らのグループと合流して二体への帰路についた。

写真を見るとわかるように河本がかなり酔っていたのが印象的で、浦越に支えられながら何とか帰ったという状態だった。

浦越以上に酔っていた河本。 文化村の前でおかじさんらとすれ違った。 日下さんグループも帰還
11/22/20:11 11/22/20:13 11/22/30:37

20:30ごろ各グループが次々と二体に生還した。

飲み過ぎで絨毯の上に倒れ込む者、トークを始める者などがいた。また浦越は何かのレポートを書いていた、ご苦労様。

「もうだめぇ。」飲み過ぎで河本ダウン。 まじめに勉強(?)する吉野
11/22/20:41 11/22/20:41

僕は、網野(姉)さんと松葉の高校時代について松葉を"取調べ"ていた。ただ残念なのことにあれから時間がたっている(これを書いているのは2000年1月31日、もう2ヶ月以上たっている)ことと、あの時酒が入っていたため詳細について覚えていないのでここに報告することができない。最も覚えていても書けないような内容だったと思うが・・・。

謎のカルト教団"腕立て伏せ真理教" まったりムード wassyさんV.S.匡さん。wassyさん優勢
11/22/21:13 11/22/21:41 11/22/22:26

松葉への取調べがひと段落したころ、お年寄りが会話の輪に入って来ていつしか話題はコンピューターネタになり男5、6人で話していた。(当然網野(姉)さんは会話から離脱。)

23:00ごろ二次会組が帰ってきたが、なぜか成相と野本だけ帰ってこなかった・・・。成相に電話してみると、「女性を駅まで送ったが道に迷ったと」のこと。心配ではあったがどうしようもないのでまっすぐ帰って来いと告げた。

24:00ごろ後藤さんがシャワー棟に行ったのだが1時間たっても帰ってこないという事件が起こった。女性(誰だかは忘れた)が見に行くとぼーっとしていたらしい。後藤さんはコンパに入っていないので酒の仕業ではないが、疲れがたまっていたのだろう。

楽しそうなたにぃさん。後の話によると酒でつぶれたのは2年前の駒祭コンパ以来とか・・・。 格闘と聞いては黙っていられずたにぃさん参戦 逆襲のたにぃさん(Tany's Counteratack)
11/22/23:19 11/22/23:42 11/22/23:42

日付変わって1:00ごろになると、みんなもうアルコールはほとんど抜けていた。松葉は一人で(河本は引き続き死亡していた)あく投の修理を開始した。ご苦労様です。

僕は誰かとまったりと話をしていたと思うのだが、これ以上起きていても仕方ないと思い2:00頃就寝。

しかし1サイクルほど寝た3:30には起きてしまった。すると3:40頃成相がやっと生還した。後の話だとかなり渋谷でぐるぐる回っていたとか・・・。

この後は誰と何を話していたのかは忘れたがずっと起きていて話をしていた模様。

6:00頃になると起き始めるひとも出てきたが中には寝起きの悪い人もいた。

さすが中京圏出身の松葉。イセエビ、あるいは名古屋城のしゃちほこの夢を見ているのだろうか?
11/23/5:43

7:00ごろ缶コーヒーを買いに生協前に行くと昨日とは違いすでにかなりきれい(平常時並)だった。もう掃除が終わっていたのだろうか?

7:30ごろ再び就寝。

1999年11月23日(火)

11:00ごろ起床。いよいよ駒場祭も最終日となった。

12:00ごろテニスサークルのほうへ行ったあと、1号館で展示などを見た後14:00過ぎに帰館。ちょうど最終上映が終わったところで、大勢のお客さんがプラネタリウムから出てきた。後できいた話だとビラ配りをがんばったおかげでこの日の上映は満員御礼だったらしい。

オーロラ投全員集合!って写真ないじゃん。 中村さんの昼食。"学館麺"?
11/23/12:50 11/23/14:05

ドーム内に部員数十人が入って14:20ごろ内輪上映が開始。最初はwassyさんのソフトである「Snowy Memories」だった。このソフトは完全な自動制御で上映され、いとてつさんが開始のコマンドを打つとあとは自動的に主投、補助投が音声に合わせ動いていて感動してしまった。

僕は結局このときまでWassyさんのを見ていなかったので楽しみだったのだが、まさかあんなエンディングになるとは・・・。

われらが雪投は深海底の窓から見えるマリンスノーをドームに映し出していた。

内輪上映を待つ11部員 3日間活躍した主投
11/23/14:25 11/23/14:25
wassyさんのソフト「Sowy Memories」が開始。 上映の前の挨拶をするwassyさん
11/23/14:27 11/23/14:30

次に上映されたのは「海と星の見える丘より」。これは1日目に見たことがあったのだが、今回は疲労のため一部眠ってしまった。すみませんでした!

そして最後に「海と星の見える丘より」の裏ソフトが上映された。萱場さんの手によってアレンジされた裏ソフトによって部員一同、腹が痛くなるほど笑ったことはいうまでもないだろう。

16:00前に内輪上映も無事終了しか片付けが開始された。全投影機をドームの中からだし、展示パネル類をどかしたあと、17:00ごろ若者の集合写真が撮影された。各々自分が製作した投影機を持って写真を撮ったのだが、写真を撮っているお年よりの数(若者より多かった?)に驚いた。むしろ向こうの写真を撮りたいと思うほどだった。

写真撮影が終わると投影機の解体、ドームの片づけが始まった。パイプ椅子で殴りかかったり、とび膝蹴りによってHSTの模型の解体も行われた。

解体された主投
11/23/16:58

二体の外では投影機の足や展示用パネルの解体が行われてこちらのほうを手伝っていたが、18:40頃テニスサークルのコンパがあるので僕は離脱した。

その後21:00ごろ萱場さんや後藤さんの胴上げが行われたらしいが、このころ僕は渋谷で飲んでいたので詳細はわからない。

21:30頃テニスサークルのコンパが終わったので萱場さんにi-modeメールを送ると天文部の打ち上げがちょうど始まったとのことだった。飲み足りてはいたが食べたりてはいなかったため天文部の打ち上げに合流することに。

千歳会館前の交番で萱場さんと待ち合わせ21:50頃合流。20分の遅れを取り戻すべく焼肉を食べまくっていた。ちなみにこの打ち上げはアルコールはビール一杯程度だったらしく僕だけが酔っていた。

各テーブルの様子その1 各テーブルの様子その2 各テーブルの様子その3
11/23/21:52 11/23/21:52 11/23/21:52
各テーブルの様子その4 各テーブルの様子その5 各テーブルの様子その6
11/23/21:53 11/23/21:53 11/23/22:17

23:30ちょうど満腹になったころ打ち上げ終了。まっすぐ家路につき23:50、19日(金)の朝以来実に111時間ぶりに自宅に帰った。

駒場祭準備編Part2に戻る
Copyright(C) Astronomy club, The University of Tokyo 1999-2000
Copyright(C) Ken Tanabe 1999-2000